105 冤罪・菅家さんと113人――死刑判決後に冤罪が明らかに(6/19)
この人数は、冤罪で釈放されたアメリカの死刑囚の場合である。びっくり。
読売の「死刑」の連載記事に載っていたものだが、この前、足利事件の菅家さんの冤罪の例もあり、少し考えたい。
日本ではどうか。死刑囚が再審無罪となったのは、四件だそうだ。
ということは、アメリカの警察は劣っていて、日本の警察は、よほど優秀、ということか。
アメリカの死刑囚の冤罪が起こる原因は、「自白や目撃証言などに問題があったケースが多い」とのこと。最近では、DNA鑑定によって有罪が覆る例が続いている、という。
これは、菅家さんはDNA鑑定での有罪から無罪と同じだ。虚偽の自白を誘導したことも同じだ。
日本の捜査は、自白に頼りすぎる、と言われている。
日本で、再審無罪が四件と、アメリカと比べ少ないのは、警察が優秀と言うのではなく、再審の門がなかなか開かない、という別の問題があるのではないか。
ということは、無罪の人が死刑で亡くなっている人が多い、ということになる。
久間三千年死刑囚は、一貫して無罪を主張していたが、1992年の10月、福岡県の飯塚市の小学1年の女児二人を殺害したとして、2006年に最高裁で刑が確定した。
そして、弁護団が再審請求の準備を進めていた中、昨年の10月、死刑は執行された。
しかも、この飯塚事件でも証拠の一つにDNA鑑定があり、その鑑定方法が誤りとされた菅家さんと同じ方法のものであったというからなおさら恐い。
疑問がある。なぜ、無罪を一貫して訴えている死刑囚をわずか2年で執行してしまうのか、だ。無罪を訴えている人は、冤罪の可能性がある人なのだから、もっと慎重であるべきだ。
現在、死刑囚は99人。その内、再審を請求している人は61人、と記事は伝えている。
この数を見て、あらためて驚いた。なんで、こんなに多いのか。
死刑囚の6割の人が最高裁の判決に不服を申し出ているということだ。
死をもって、償うのに、異議あり、と言う。
死刑制度を取り入れている以上、命をもっと償ってもらう以上、本人が納得して、死につけるように、再審がもっと開かれてあるべきではないか。
日本の4人に対して、アメリカの113人という死刑囚の冤罪の差ほど、日本の警察が優秀とは思えない。
菅家さんは、無期懲役であったから、17年目に晴れて無罪になった。
もし、菅家さんが死刑囚になっていたら、久間死刑囚のように、2年で死刑にされている可能性大であった。
つまり、無実のまま国家によって殺されていた、ということだ。国家に殺された、ということは、死刑制度を認めている我々ひとりひとりの責任によって殺された、ということだ。
このような罪への加担は、私は拒否したい。
そのための方法は、死刑廃止しかない。その代り、終身刑を導入すればいい。そうすれば、現在再審を請求している61人の内、何人かは、無罪への道が確実に開けるのだから。
死刑が執行されては、無罪の人が永遠に救われないのだから。
そして、このような冤罪が起こる自白偏重の捜査を無くすために、捜査の可視化がどうしても必要だ。ビデオで再生すれば、菅家さんがどのような警察の暴力で、自白が強要されたか、一目瞭然なのだから。
反対理由を言っていた警察関係者は、ビデオを入れると、犯人と尋問する警官との間でできる信頼関係が築づけなくなるという。信頼関係を築けば、涙を流して、犯人はほんとうのことを自白する、という。ビデオを入れると、それができないと。
そうは思わない。菅家さんも、涙を流して、自白したという。どうして、自分がそうなったか分からないという。
最初、犯人とされた人は、最初、ビデオが回っていることを気にするかもしれないが、長時間の捜査の中で、そんなことは忘れてしまうのが、人間の心理だ。いつも気になるのは、捜査官の方ではないか。人権侵害の捜査にならないか、と気にしてしまうから、いつもの捜査ができにくくなると。つまり、刑事もののテレビドラマがよく演出する強引な捜査が行われているのが現実で、可視化されると、いつもの捜査ができなくなるので、困るから反対している、というのが、真実であろう。
警察は、熱心なあまり、無実の人を犯人に仕立ててしまう可能性を無くす方法を導入すべきなのだ。
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